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~20,鉄磨牸牛(てつましぎゅう)~

  • 住職
  • Aug 1
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 中国の禅僧・潙山霊祐(いさんれいゆう)のところに弟子の尼僧・劉鉄磨(りゅうてつま)が問答を挑みにやってきます。尼僧が入ってきたのを見て、潙山禅師が「よく来たな」と言うと劉和尚は「明日、五台山(ごだいさん)というお寺で盛大な供養祭がありますが、お師匠様はご参加されますか」と聞きます。すると潙山禅師は、行くとも行かないとも答えないで、ごろりとその場で横になります。それを見た劉和尚は、ただちにその場を立ち去ります。


 この二人のやりとりは、必然性も脈絡もなくて、さっぱりわかりません。しかし、そこがこの話のキモです。


 本来、わたしたちの活動はその場その場の出来事です。一つ一つの出来事には理由や理屈が一切つきません。だから来るという理屈もないし、行くという理屈もないし、去るという理屈もありません。しかしだからこそ、私たちは本当に自由で、平等で、妨げがありません。だから逆に、「来る」のも自由だし、「行く」のも自由だし、「去る」のも自由です。問答のやりとりの最中に寝転ぶことも構いません。


 私たちは、ものごとを過去、現在、未来のつながりで考えます。それは、人間の社会を生きる上ではとても大事な要素だと思います。過去現在未来のつながりがあるからこそ、「今はつらいことがあるかもしれないけれど、未来の成功に向かって努力する」ということが、出来るようになりました。しかし、また、そういうことは、同時に、過去のことを後悔して悩み、今ある人間関係で悩み、まだ起きてないことを心配して「悩む」原因にもなりました。


 わたしも努力というものをしたことがあるつもりです。わたしは、子供の頃から勉強が大嫌いでした。そんなわたしも、何とか高校に入り、そして大学受験をすることになりました。最初の大学受験の年、勉強嫌いのわたしは、受験勉強に身が入らず、見事に一つの学校も受かりませんでした。

 そして、親にもう一度チャンスをもらい、予備校に通いながら再び大学を目指すことになりました。さすがに親に迷惑をかけていると思い、浪人時代の一年間は、かなり勉強したつもりです。どのくらい勉強したかというと大学受験まで、あと数週間というときに、背中に蕁麻疹が出るくらい…勉強したのです。「勉強」という嫌いなことをやり続けた結果、とうとう、心と身体が拒否反応を示した、というところでしょうか。しかし、そんな努力のおかげか、二度目の受験の年は、いくつかの大学に受かったのです。あれほど「嫌いなこと」をやり続けたなんてことは自分の人生であの時だけだと思います。貴重な体験です。


 それから私は、大学を卒業して、少し働いたのちに、実家のお寺を継ぐため、鶴見のご本山總持寺で修行をして、新潟に帰ってきました。


 新潟に帰ってきた後に、運動不足解消のために始めた趣味が、自転車でした。お金をためて競技用の自転車を買って、時間が空いている時にそれに乗って出かけるようになったのです。私が特に熱中したのは、自転車登山でした。

 新潟には、弥彦山という東京スカイツリーと全く同じ高さの山があるのですが、その山には、標高五百メートルくらいまで道路が続いていて、よくそこで自転車登山をしました。自転車で山を登るなんてことを人に言うと、「かわった趣味」と思われることもありましたが、海沿いにある弥彦山の頂上付近からは、海と佐渡島がよく見えて、景色も素晴らしく、爽快な気持ちになれました。

 また、登っている最中も息が切れて、なかなかしんどいのですが、ペース配分、どのギヤ比で登るか、水分補給はどんなドリンクでしたらいいのか…など色々な工夫があり、実に面白いのです。自転車で山を登ることそのものが楽しみなのです。


 学校でも、仕事でも、私たちは常に結果を求められます。「結果」という先のことがとても重視されて、目の前のことが置き去りにされる傾向があります。それが競争化社会に拍車をかけているのは間違いのないことです。適度な競争ならいいのですが、激しい競争は人間を消耗させるばかりです。その証拠にこんなに世の中が便利になっているはずなのに、私たちは、なぜか子供は勉強に、大人は仕事に追われる、とても疲れる毎日を送っています。「世の中進歩して、便利になっているのであれば、毎日遊んで暮らしていてもいいはずなのでは?」と思ったりします。


 お寺は、競争化社会とあまり縁がないかもしれませんが、お寺にもいろいろな仕事があります。その代表的なものが境内地の管理です。


 東山寺の庭はなかなか広くて、春から秋にかけての草取りはけっこうな重労働です。草取りは、やり始めは気分が乗らないものですが、始めるとこれが意外と面白くて、時折、我を忘れてやっている時があります。私の知っている和尚さんは、お掃除が大好きで、いつも雑巾を持ってお寺の中を歩いているのだそうです。


 掃除も草取りも、やってみると実に楽しいものです。そういう時は、自分を忘れてやっています。庭をきれいにすることではなくて、草取りそのものが目的となるのです。目の前のことそれきりであることを仏教では「三昧(ざんまい)」と言います。三昧は、坐禅のことであり、それはそのまま仏なのです。そして、皆さんの生活は本来、この「三昧」なのです。


 そこには、過去も未来も、そして現在もないのです。そういう理屈がつかないのです。そうなると未来の結果がなくとも、自分はすでに成功者で、潙山(いさん)和尚や劉(りゅう)和尚のように、最初からこの地球、この宇宙で遊ぶ、自由自在の自分だったと気が付くことになるのです。

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TEL: 0256-45-2513

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〈上越新幹線〉長岡駅下車・信越本線新潟行き乗車

 →見附駅下車 タクシーにて東山寺へ。

※見附駅の次の帯織駅で下車すると徒歩で行けないこともないですが、45分程かかります。尚、快速、特急は、帯織駅で停車しないので注意してください。

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