
東山寺について
~東山寺の紹介~
曹溪山東山寺(そうけいざんとうざんじ)は、鎌倉時代の中期に宋の蘭溪道隆(らんけいどうりゅう)禅師を開祖として開かれた禅宗のお寺です。蘭溪道隆禅師は、鎌倉の建長寺の御開山として知られていますが、日本各地に開祖として名前を貸しているお寺が複数あり、東山寺もそのうちの一つということになります。東山寺は、建立当初、臨済宗の寺院でしたが、天文三年(1534年)大面城主・丸太伊豆守(まるたいずのかみ)が七堂伽藍をつくり、上州沼田の玉泉寺五世宣州(せんしゅう)を招請して再興され、曹洞宗のお寺となりました。
明治戊辰の役の時に本堂庫裏を焼失し再建、現在に至っております。消失を免れた二階建ての山門においては、三条市指定の文化財の四天王像が睨みをきかせ、本堂には、お釈迦様の弟子である五百羅漢の像があります。また、建物の裏手には、裏山を借景とした室町時代の作風の回遊式庭園があり、禅寺のたたずまいをより一層、幽玄なものにしております。







東山寺の山門は「三間一戸楼門」といいます。三間一戸とは、正面から見て四本柱で、柱と柱の間が三か所あり、そのうちの真ん中の一か所が通り抜けられるようなっている構造のことを言います。また、下層部分に屋根がなく、廻縁のついている形の門を楼門と呼びます。
江戸時代の建立で、元々は、寄棟造りの茅葺の屋根でしたが、現在では入母屋造りの瓦葺の屋根となっております。


延命子安地蔵
山門の脇に子どもを胸に抱いて、
にこやかに衆生を見守っています。
四天王は、仏界(仏教世界)の中心に聳え立つ須弥山(しゅみせん)の中腹で四方に睨みをきかせ、仏法を広め、仏法に帰依した人々を仏敵から護る働きをしていると言われています。制作年代は、南北朝の時代と言われております。いずれもヒノキの寄木造(よせぎづくり)で、内刳(うちぐり)の立像で、色彩がほどこされ、玉眼が嵌入(がんにゅう)されています。平成五年に修復が行われ、現在に至っております。
持国天
(お顔の色・緑)
東方を守護し、国家の安寧をはかる。
増長天
(お顔の色・赤)
南方を守護し、五穀豊穣を司る。
広目天
(お顔の色・白)
西方を守護し、弁舌さわやかに衆生を説得して、衆生を仏門に帰依させる。
多聞天
(お顔の色・青)
北方を守護し、説法の場を守り、説法を全て知恵にする。
本堂裏手には、裏山の借景を取り込んだ室町時代の作風と言われる回遊式庭園があります。四季折々の花々が植えられた落ちついた前景、中央の池では、色鮮やかな鯉が水面下に遊び、奥の築山は、厚い苔に覆われていて、深山の幽玄な雰囲気があります。春は椿、水芭蕉、初夏は、ツツジやアヤメ、夏から秋にかけては、桔梗、萩が咲き、晩秋には紅葉が色鮮やかです。そして冬は深い雪に覆われます。四季を存分に味わい尽くすことができる禅寺の庭です。


